土日に出勤した翌週の月曜日。
上司に言われた一言が、今でも頭に残っている。
「あれ、土日出たの?」
褒められたわけじゃない。
ねぎらわれたわけでもない。
ただの確認。
トーンもどうでもよさそうなやつ。
それでも、なぜかちょっと嬉しかった。
なんで嬉しかったんだろう、とずっと思っていた。
答えが出たのは、所長になってからだ。
やっていることは同じ休日出勤でも、立場が変わると、まったく景色が違った。
今回は、担当者と所長、同じ「土日出勤」でもこんなに違うのか、という話をお届けします。
※このコラムは「雑談が苦手で、会話が続かない人」のための“話のネタ帳”です。
読むだけで、ちょっと話してみたくなる雑談ネタをストックできます。
【結論(この記事でわかること)】
この記事でわかるのは、「評価されない時間の報われ方は、自分で作れる」ということです。
誰にも気づかれない休日出勤の中に、僕が見つけたささやかな仕組みと、あの一言がなぜ嬉しかったのかの答えをお伝えします。
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【話ネタ本文】
リーダーの休日出勤は、完全に無音だ。
手当なし。感謝なし。「お疲れ様」もなし。
月曜の朝、部下も同僚も、僕が土日に来ていたことを知らない。
知ろうともしない。
当然だ、言っていないんだから。
静かなオフィスで、キーボードを打って、書類を片付けて、気づけば夕方。
誰にも気づかれないまま、帰る。
……寂しいとかじゃないんですよ、これが。
ただ、無音なんです。
担当者のころは、違った。
土日に出た翌週の月曜、上司にふと言われることがあった。
「あれ、土日出たの?」って。
褒められたわけじゃない。
ねぎらわれたわけでもない。
ただの確認。
それでも、なぜかちょっと嬉しかった。
所長になって、その一言が完全に消えた。
気づいてくれる人がいなくなったのか。
それとも、気づいていても言わないだけなのか。
……どちらにしても、誰かに認められるという感覚が、静かになくなっていった。
だから、自分でご褒美を用意することにした。
誰も報いてくれないなら、自分で報いればいい。
休日出勤の日の昼は、経費でランチを食べる。
普段は絶対に行かない店。
一食3,000円近いステーキランチ。
常に行列の天ぷら屋。
どこかで噂を聞いたあの店。
一人で静かに、贅沢なランチ。
妻には「経費だから」と言い訳できる。
自分には「これが今日の報酬だ」と言い聞かせる。
……自分でも気づいていなかったんですが、これ、けっこう大事な仕組みだったんです。
誰かに報いてもらうのを待つより、先に自分で仕込んでおく。
そうすると、不思議と「よし、やるか」ってなる。
で、結局なんで嬉しかったのか。
「あれ、土日出たの?」
あの一言が嬉しかったのは、褒められたからじゃなかった。
見ていてくれた人がいた、という事実だけだったんだと思う。
評価じゃなくて、存在を認めてもらえた感覚。
それだけで、人間ってけっこう動けるんですよね。
人は「正当な評価」より、「ちゃんと見られている」という感覚の方に、深いところで反応する生き物なのかもしれない。
あの「ちょっと嬉しい」を、届けられているか。
リーダーになった今、あの一言を言える側になった。
でも正直に言うと、ちゃんと言えているか、自信がない。
部下が土日に来ていても、気づかないことがある。
気づいても、声をかけ忘れることがある。
あの「ちょっと嬉しい」を、僕は誰かに届けられているだろうか。
あなたはどうですか。
職場に、気づいてあげられていない誰かが、いませんか。
【記事まとめ】
- 所長の休日出勤は、誰にも気づかれない。手当も感謝もない、完全な無音だ
- 担当者のころの「土日出たの?」は、評価ではなく存在を認めてもらえた感覚だった
- 誰も報いてくれないなら、自分で報いる仕組みを作ればいい
- 気づいてもらう側から、気づいてあげる側へ。立場が変わると、見える景色も変わる
【最後に】
僕は思うんです。
「誰かに気づいてもらう」を待つより、先に「自分で気づいてあげる」方が、ずっとラクなんじゃないかって。
休日出勤を「報われない時間」だと嘆くか、「自分だけの贅沢な時間」だと楽しむか。
同じ土曜日でも、意味はまったく変わります。
そして月曜の朝、部下に一言かけてあげる。
「あれ、土日出たの?」って。
それだけで、誰かの「ちょっと嬉しい」が生まれるかもしれない。
……まぁ、僕の「ちょっと嬉しい」ご褒美ランチの領収書は、
絶対に妻に見せれませんけどね。(笑)
最後まで読んでくださって、ありがとうございました!



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