朝の通勤や散歩で、ふと民家のカーテンが少しだけ開いているのを見かける。
…なぜか目がそっちに行ってしまう。
見たいわけじゃないのに、気づけばチラ見している。
あれ、これって自分だけ? いや、たぶんあなたも同じはず。
そんな話題の時に思い出してほしいのが、この“カーテンの隙間”の話です。
僕が実際に体験した、ほんの小さな出来事から、
「本能を否定せず、節度を添える」ヒントが見えてきました。
好奇心と節度のバランスについて考えるきっかけになる、
ひとつ仕込んでおきたい雑談ネタです。
※このコラムは「雑談が苦手で、会話が続かない人」のための“話のネタ帳”です。
読むだけで、ちょっと話してみたくなる雑談ネタをストックできます。
【結論(この記事でわかること)】
このエピソードが教えてくれたのは、
「見てしまう自分」を責めるより「どう見るか」を意識するほうが人として美しい、ということ。
カーテンの隙間でも、街角のふとした光景でも、好奇心は生き物としての証です。
それを消そうとするのではなく、そこに少しの節度を添える。
それだけで、ただのチラ見が「品のある観察」に変わります。
次に、無意識”チラ見”について話す機会があれば、このネタをそっと思い出してみてください。
【話ネタ本文】
こんにちは、カブラブログの管理人・カブラです。
今日は、毎日の通勤風景で遭遇する、
“朝のカーテン”と“人間の本能”についての話をしたいと思います。
これってつまり…
毎朝、駅まで歩いていく道すがら、やたらと気になる家があります。
別に変な家じゃないです。普通の、静かな住宅街の一軒。
ただ――
カーテンが全開。朝からずっと。
これが、どうにも目を引くんです。
見たいわけじゃない。興味もない。でも、なぜか目がいってしまう。
これ、不思議ですよね。
開いている“窓”や“隙間”に、つい目がいってしまう。
これってつまり…
”覗きたい”のは、実は本能
「覗きたい」というのは、ムッツリの証じゃなくて、本能かもしれない。
そう考えると、急にこの現象が愛おしくなってきます。
昔の人間、つまり、狩猟採集をしてた頃の僕たちは、
“見えないもの”に注意を向ける必要がありました。
木の影に、何かいるかもしれない。
茂みに、食べられるものがあるかもしれない。
「隠れているものを見ようとする力」こそが、
生き延びるために必要な能力だったわけです。
つまり――
僕たちが「つい見てしまう」のは、その名残なんですよ。
視線とムッツリの境界線
だから!
だから、風で女性のスカートがフワッとした時に目がいってしまうのも――
本能です!!(ドン)
……と、胸を張って言いたい。(笑)
あの一瞬、僕たちの脳内では、
ドーパミンがプシューッと分泌されて、
「見たい!知りたい!」という欲求が走るわけです。
これはもう、生物として優秀すぎる。
ムッツリじゃない。“探究心の塊”です。
本能にどう向き合うか
とはいえ
視線の向け方には、“進化”が求められます。
縄文時代なら良かった。
でも今は、法と道徳とカメラがある時代です。
だからこそ、こう問いかけてみたい。
「自分の中の本能に、どう折り合いをつけますか?」
人は、欲望のままに生きると野生に戻ってしまう。
でも、欲望を無理に抑えると、今度は不自然になる。
じゃあ、どうするか?
節度、保っていますか?
僕の出した答えは、これです。
「本能に正直であれ。でも、節度は持て。」
目がいったことを責めなくていい。
でも、その後の行動に、ちょっとだけ知性を足そう。
「今、自分は何を見たくなったのか?」
「なぜ気になったのか?」
そう問い直してみるだけで、
視線の角度がちょっと変わってくるかもしれません。
【話ネタに使えるポイント】
このエピソードは、以下のような場面で使えます:
- 「カーテン開いてる家って、なんか気になりません?」から始める雑談
- 「人って“隠れてるもの”が好きなんですよね」からの心理学ネタ
- 「いや俺ムッツリじゃなくて、好奇心強いだけですから(笑)」という自虐風トーク
キーワードは、
「本能的な好奇心」と「節度ある視線」
つかみを得やすい万能ネタです。
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【「本能を否定せず、節度を添える」3つのヒント】
「じゃあ、どうすれば“ムッツリ”にならずに済むのか?」
そんなふうに思った方へ、僕なりの3つのヒントをまとめてみました。
- “見てしまう”は、恥ずかしいことじゃない
つい視線がいくのは、本能です。
それは、あなたが「気づける人」である証拠かもしれません。 - “なぜ見たのか”を考えてみる
何に惹かれたのか、なぜ気になったのか。
その問いを持つだけで、「視線」に知性が宿ります。 - “見る自由”より“見られる配慮”を意識する
自分がどこを見るかより、「どう見られるか」も考えてみる。
その一歩が、節度あるふるまいに変わっていきます。
あなたが最近、ふと目を向けてしまった何か。
それって、「ダメなこと」じゃなくて、「生きてる証」かもしれません。
でもそこに、少しだけ“自覚”を持つと、世界の見え方が変わります。
【記事まとめ】
- 人は“隠されたもの”に目がいく本能を持っている
- カーテンの向こうや、ふとした隙間に心が動くのは進化の名残
- スカートのチラリにも、科学的な理由がある(多分)
- 本能を否定せず、節度を持って付き合うのが現代人の知恵
- ムッツリじゃない、探究心だ(たぶん)
【最後に】
朝の散歩道、
全開のカーテンに目を奪われる自分をちょっと笑いながら、
ふと思いました。
「僕たちは、カーテンのない世界に耐えられないんじゃないか?」
見えそうで見えない。
知ってるようで知らない。
それがあるから、今日も一歩、前に進める気がする。
秘密って、魅力だ。
だからこそ、“秘密を守る”という美徳も、
忘れずに持っていたいと思います。
今日もあなたの一日に、
ちょっとだけ好奇心と、ちょっとだけ節度を。
最後まで読んでいただき、ありがとうございました!
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