こんにちは、カブラブログの管理人・カブラです。
今日は、“朝のカーテン”と“人間の本能”についての話をしたいと思います。
【日常のちょっとした違和感】|話ベタの話ネタ
毎朝、駅まで歩いていく道すがら、
やたらと気になる家があります。
別に変な家じゃないです。
普通の、静かな住宅街の一軒。
ただ――
カーテンが全開。朝からずっと。
これが、どうにも目を引くんです。
見たいわけじゃない。興味もない。
でも、なぜか目がいってしまう。
これ、不思議ですよね。
開いている“窓”や“隙間”に、
つい目がいってしまう。
これってつまり…
【気づきからの“価値の再定義”】
「覗きたい」というのは、ムッツリの証じゃなくて、
本能かもしれない。
そう考えると、急にこの現象が愛おしくなってきます。
昔の人間、つまり、狩猟採集をしてた頃の僕たちは、
“見えないもの”に注意を向ける必要がありました。
木の影に、何かいるかもしれない。
茂みに、食べられるものがあるかもしれない。
「隠れているものを見ようとする力」こそが、
生き延びるために必要な能力だったわけです。
つまり――
僕たちが「つい見てしまう」のは、
その名残なんですよ。
【視線とむっつりの境界線】
だから!
だから、風で女性のスカートがめくれた時に
目がいってしまうのも――
本能です!!(ドン)
……と、胸を張って言いたい。(笑)
あの一瞬、僕たちの脳内では、
ドーパミンがプシューッと分泌されて、
「見たい!知りたい!」という欲求が走るわけです。
これはもう、生物として優秀すぎる。
むっつりじゃない。
“探究心の塊”です。
【本能にどう向き合うか】
とはいえ
視線の向け方には、“進化”が求められます。
縄文時代なら良かった。
でも今は、法と道徳とカメラがある時代です。
だからこそ、こう問いかけてみたい。
「自分の中の本能に、どう折り合いをつけますか?」
人は、欲望のままに生きると野生に戻ってしまう。
でも、欲望を無理に抑えると、今度は不自然になる。
じゃあ、どうするか?
【好奇心の取扱説明書】
僕の出した答えは、これです。
「本能に正直であれ。でも、節度は持て。」
目がいったことを責めなくていい。
でも、その後の行動に、ちょっとだけ知性を足そう。
「今、自分は何を見たくなったのか?」
「なぜ気になったのか?」
そう問い直してみるだけで、
視線の角度がちょっと変わってくるかもしれません。
【話ネタに使えるポイント】
このエピソードは、以下のような場面で使えます:
- 「カーテン開いてる家って、なんか気になりません?」から始める雑談
- 「人って“隠れてるもの”が好きなんですよね」からの心理学ネタ
- 「いや俺ムッツリじゃなくて、好奇心強いだけですから(笑)」という自虐風トーク
キーワードは、
「本能的な好奇心」と「節度ある視線」
【記事まとめ】
- 人は“隠されたもの”に目がいく本能を持っている
- カーテンの向こうや、ふとした隙間に心が動くのは進化の名残
- スカートのチラリにも、科学的な理由がある(多分)
- 本能を否定せず、節度を持って付き合うのが現代人の知恵
- ムッツリじゃない、探究心だ(たぶん)
【最後に】
朝の散歩道、
全開のカーテンに目を奪われる自分をちょっと笑いながら、
ふと思いました。
「僕たちは、カーテンのない世界に耐えられないんじゃないか?」
見えそうで見えない。
知ってるようで知らない。
それがあるから、今日も一歩、前に進める気がする。
秘密って、魅力だ。
だからこそ、
“秘密を守る”という美徳も、
忘れずに持っていたいと思います。
今日もあなたの一日に、
ちょっとだけ好奇心と、ちょっとだけ節度を。
最後まで読んでいただき、ありがとうございました!
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